
「やきとりさん、潮干狩りに行かない?」と、職場の同僚Kさんに声を掛けられたのは先週のことである。同じアルバイトだけど、Kさんは私の10歳上で、それでも仕事帰りに時どき立呑屋でイッパイやる仲。飲むならまだしも、ついオウム返しに「潮干狩り?」「そう、船橋の三番瀬」「行ったことあるんですか?」「毎年行くんだよ。よかったら来ない? ザクザク漁れるよ」「いつです?」「今度の日曜日」「じゃあお供します」「よし、10時に車で迎えに行っから」と、あっという間に話は決まった。

(他に、わた菓子や焼きそばの屋台も出ていた)

(漁れなくても金を払えばホンビノス貝のフライが食えます)
そして4月24日の日曜日は、朝から小雨がパラつくあいにくの空模様。おまけに肌寒い。昨夜の残留アルコールで薄く混濁した頭で「こりゃ、中止かなあ」とぼんやりしているところへKさんから「あと1時間したら行くよ。昼から晴れるから大丈夫」と電話。ひとまず起きて支度する。バケツと捨ててもいい靴、タオルとコンビニ袋を数枚ずつ。クマデはK さんが貸してくれる。

(テントを張る気合いの入った家族連れも多い)
天気が良くないにもかかわらず、日曜日のふなばし三番瀬海浜公園は家族連れでにぎわっていた。オトナ1人430円也の入場料を払うと柵で囲われた潮干狩り場に入ることができる。そこには前の晩、まだ満潮時に漁船であさりをバラまいてあるため、子供でも簡単に漁れるそうだ。しかしKさんは入口を素通りし、堤防の先を目指してどんどん歩いていく。「あれ? ここじゃないんですか?」と私が問うと、「あっちの柵の外ならタダなんだよ」と応じる。「外でも漁れるんですか?」「貝に柵の内も外もないからね」「ははあ、なるほど」私は感心してKさんに従う。

(みなさま気にしないで乗り越えていく)
私が見た感じでは、有料地帯は主に子連れファミリー、柵の外はセミプロみたいな貝とり職人と、すみ分けが出来ているようだ。いくつもの柵や堤防を乗り越え、目的地に到着すると、さっそく潮干狩り開始だ。ちなみに私は人生初の潮干狩り体験。気合い充分でいどむ。しかし、お目当てのホンビノス貝はおろか、あさり1つ見つからない。

(砂をかくとたちまち水が濁るので余計に探しにくい)
「そうやって、やみくもに掘ったんじゃあダメだ」見かねたKさんが、私に手ほどきをしてくれる。まずは砂の上の小さな2つ穴を探す。それはホンビノス貝の水管で、そこには必ずいるという。しかし広大な遠浅の海、目を凝らしながらあっちをうろうろ、こっちをうろうろしても、なかなか見つからない。2時間ほど掘って、ようやく小さなカキが数個とあさり1個、シオフキと呼ばれる貝1個を手にする。ちなみにシオフキは砂っぽくて食えない貝だそうだ。

(オレンジ色のがシオフキ)

(セミプロの人その1)

(セミプロの人その2)
それにしても無心に貝を掘っていると、没頭してしまいつい時間を忘れる。ヒンドゥーの教えが言うところの「三昧」の境地である。ま、そんな大げさな話じゃなくても、ドロンコと水を素手でこねくり回すのなんて、何十年ぶりだろう。自分が子供に戻ったようで、貝はとれなくてもすこぶる気分がいいのだ。一方で時間を忘れるのはいいが私はすでに子供ではない。ずっとしゃがんだままで軋みだした腰をトントンと伸ばしながらタバコに火をつけると、春の海風が煙を瞬く間に運び去る。いつの間にか雲は途切れ、太陽が顔を出していた。ああ、春だなあ。
(密漁はいけません)
我々のやっていることは厳密には「密漁」なのだが、まあ自分たちで食べるくらいなら大目に見てやろうということらしい。もっとも明らかに食材を集めに来たなという外国人の方々もいるにはいたが、目くじら立てるほどではないだろう。こんなご時世だからこそギスギスせず、大らかにいきたいものです。

(足が濡れるのが最初はイヤだったけど、すでに気持ちよくなっている)
いつの間にか私の側に立っていたKさんが「おかしいなあ、普通ならもっと漁れるんだけど」とぼやく。Kさんの釣果(っていうのかな)もあまり芳しくないようだ。「いつもはゴールデン・ウィーク明けだから、ちょっと時期が早かったかもしれない」「でも、こうやって砂を掘ってるだけで楽しいですよ」「いやいや貝がとれないとダメだよ。よし、堤防のあっち側に行ってみるか」我々は膝まで浸かる深さの浅瀬を渡り、場所を移動する。そこは今までの黒砂ではなく、大量の貝殻が堆積する浅瀬だった。

(貝殻が多くてまぎらわしいが、生きている貝も潜んでいる)
新しい浅瀬であさりをいくつか掘り当てた後、ついに念願のホンビノス貝をゲット。大きさは小ぶりだが、Kさんいわく「そのくらいの大きさの方が柔らかくてうまいんだわ」だそうである。午後1時を回ったところで持参したコンビニのおにぎりを立ったままパクつく。これが殊の外うまい。そういえば遠足で食べたおにぎりはうまかったなあと、またまた子供時代に立ち返っていたところへ、ふなばし三番瀬海浜公園周辺に爆音が轟く。振り返るとモウモウと真っ黒な煙が盛大に立ち昇っているではないか。

(火事だ!)
のどかな潮干狩りの世界に突然出現した黒煙。最初のうちは浅瀬にいる者全員が呆然と非日常の光景を見守っていたが、しょせん対岸の火事。やがて全員が粛々とそれぞれの作業にかえっていく。10分ほどして消防車のサイレンが聞こえてきた。すぐに煙に向かって複数の放水が開始される。必死で消火活動を行う消防士のみなさんと、のんきに貝を掘りつづける市民のみなさんの対比に、不謹慎ながら私は「平和」を思う。

(全員がスマホで煙を撮影していた。ちなみに私はデジカメ)
しかし、その身勝手な「平和」は長くは続かなかった。大勢の制服巡査が「ご覧のように火災が発生しています! 爆発の危険もあるのですみやかに避難してください!」と叫びながら浅瀬に入り込んできたのだ。潮干狩り客はいくらか不満そうではあるが、それでも「まあ仕方ないか」というあきらめの表情で指示に従う。Kさんと私もクマデをバケツに放り込んで海からあがった。Kさんは「あんまり漁れなかったけど、火事が見れたからいいか」と冗談を言ってから、「でも悪かったね。ザクザク漁れるなんて言って、こんなんじゃねえ」と神妙な顔になる。

(ホンビノス貝6個、あさり20数個、青柳2個)
「いえいえ、これだけあれば充分っすよ」「この大きいホンビノスあげるから、そいつだけ焼きで、あとは酒蒸しにするといいよ」「あ、ありがとうございます。かえって悪いっすねえ」「また5月か6月にリベンジしよ。今度は絶対ザクザクとれるから」「もっと暖かくなってるから気持ち良いでしょうね」

(火事だ!)

(人生初の潮干狩りの後は、人生初の野次馬を体験)
三番瀬海浜公園の職員に誘導され、来るときには閉まっていたゲートから抜けると眼前に修羅場が。職員によれば、燃えているのはスクラップ工場で山積みになったスクラップだそうだ・・・と、ここまで書いて検索してみたら、全国ニュースになっていた。
何の話だか分んなくなってきたのでそろそろヤメるが、現在バケツをゲタ箱の上に安置して砂抜き作業中である。ちょっとのぞいてみると、おのおのダラリと水管を垂れ時折ピクリと痙攣するように動くあさりやホンビノスを見ていると情が移ってしまい、どうも食うのが忍びない心持ちになっている。ま、でも放っておいても明日には死んでいるのだから、さっさと成仏させてやらねば。で、まさかの後編へつづく。
